運営者プロフィール


運営者プロフィール【精神医学、代替療法、スピリチュアル。
3つの良いとこ取りをするホリスティック精神科医
「浜野ゆり」とは・・・?】

こんにち
「ホリスティック・メンタルヘルス研究所」を運営している
精神科医の浜野ゆりです。

ここ20年ほどの間に
・「うつ病は心の風邪」
・「慢性疲労症候群」が増えている
・「パニック障害」という新しい疾患がある

といった切り口で精神の健康問題がマスコミでも
盛んに取り上げられるようになり、また

・「ボーダーライン(境界型)パーソナリティ」
・「AC(アダルト・チルドレン)」
・「摂食障害」
・「トラウマ」

といったキーワードのテレビ番組が放映されたり
雑誌に特集されたりして自身の不調に気づき、
心療内科を受診する方が増えています。

さらに最近のトピックとしては
・「新型うつ病」
・「発達障害(自閉症スペクトラム)」
もあります。

これらは本人や家族だけではなく、
学校や職場で関わる多くの人々もとまどい、
対応に苦慮しているため、

こうした相談で医療機関あるいはカウンセラーを
訪れる人も増えています。

そしてメンタルヘルス(心の健康)に関する正しい知識や、
それに応じた対処法を身につけることで、

精神のみでなく身体の健康向上もするし、
対人関係や社会的活動の質も上がり、
結果として経済面も改善していく
ことを経験していかれます。

このように健康状態、
さらには人生の質も向上した方々の中には

「この知識と経験を生かして、自分も他の人の役に立ちたい」
と考えるようになり、心の相談業務に進むようになる人もいます。

私自身もそうでした。

あることに悩み、それを克服した人は、
同じような方々を支援しやすくなります。

そこには、体験からくる実感が伴うため、
援助を受けたい人のツボがわかるからです。

あなたがもし今、ご自身の心の扱いでとまどい、
より良い対応法を身につけたいのなら、
私の経歴も一つのヒントになるかもしれません。

少し長くなりますが、あなたがこの人生でつかみたい
「核」となるものを探しやすくなるよう、
私のケースをご紹介しますね。

※とりあえずざっくり短めで知りたい、
という方はこちら↓
これまでの仕事・活動内容のまとめ


【原爆ドームのすぐ近くで生まれる】

1965年、広島県生まれ。
原爆ドームのある平和公園から歩いて数分の家の、
すぐ裏の病院で生まれました。

母方の親族は広島でしたが、
原爆にてほぼ亡くなってしまっていたため、
ほとんど親戚づきあいというものを経験しませんでした。

(母と祖父母はちょうと原爆投下時には
関東に避難していて難を逃れました)

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両親は薬剤師、母方祖父母は明治生まれでしたが、
この2人も薬剤師という、理系一家でした。

「科学的」なものに価値を置き、
「論理的思考」をよしとする一家でしたので、

「勘(カン)」や宗教的なものは
警戒する家庭内文化だったのです。

私もそうした考え方を当然なものとして受け入れ、
「根拠もなく何かを信じること」
「感情に振り回されて冷静な判断をできなくなること」

は良くないことであり、そうならないように
自分を律するべきだ、と考えて育ちました。

また、祖母の代から
「これからの時代は女性も手に職(専門資格)を身につけ、
いつでも自活できるようにしておく必要がある」

という考えが徹底されていて、母から
さらに私に引き継がれたことになります。

ちなみに私が医師免許を取ったのは
「薬剤師よりもさらに手堅い資格だから」
と母に勧められたからです(笑)。

このようにして、「女性も自活が当然」
という価値観を叩き込まれました。
さて、スピリチュアルな考え方でよく出てくるのが

「あなたは魂の成長のために、あえて特定の
難しい環境を選んで生まれてきたのだ」
というものです。

しかし、別に生まれ変わりだの輪廻転生だのを
信じる必要はありません。

ただ、何かの困難に現在立ち向かっていたり、
幼少期にそうした環境にあったことは事実なわけです。

過去の事実は変えられませんが、
その事実に対しての「意味づけ」を変えることで
現在の自分への見方も変わります。

自分への見方が変わる
→自尊心が上がる
→今後生きていくためのエネルギーが湧いてくる

というのが、人の心の性質です。

ですから、この性質をフル活用し、
より良い、充実した人生を今後送るために、
以下の質問を自分にしてみてください。

Q1)あなたは両親(または同様に影響の強い大人)に、
どのような基本的価値観を教えられましたか?

そして仮に、
あなたが両親を選んで生まれてきたとしたら、
そのテーマとは何でしょうか?


【小学校の半分をアメリカで過ごす】

地元の幼稚園を卒業する頃、
両親がアメリカ合衆国の大学に研究員として
留学することになりました。

期間は2年間。

母及び祖母に「親についてアメリカにいく?
それともおばあちゃんたちと一緒に日本にいる?」
ときかれ

「2年で帰ってくるんでしょう?なら行く!」
と即決。

このころは、まだ何も怖がらない、
楽観的な性格だったようです(笑)。

5歳違いの弟が生まれてまだ半年でしたが、
両親と共に渡米しました。


【異なる文化の中で・・・】

何もかも未経験の世界で、
毎日が刺激に満ちていました。

他に日本人がほとんどいない
田舎の大学町で、自然がいっぱい。

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言葉はもちろんわかりませんでしたが、
幼少だったのですぐに適応し、

同じクラス内に親友も2人でき、
よくお互いの家に遊びに行ったりして
過ごしました。

それでも環境の激変の中。
後から振り返ると、やはりストレスは
受けていたらしく、

しかしそれを心の中で感じるのが難しくて、
身体症状として表れていました
(子供としては自然な反応です)。

例えば、

・ひどい時には5分に1度トイレに行きたくなる

・特定の数にこだわる
(例 脚をぶらぶらした時、6回で止めるのは
不吉なのでラッキー7にしなくてはならない
など)

・いわゆる鍵っ子状態だったので、
下校後から親が帰ってくるまでの間、
暇なのもありついお菓子を食べすぎ、
お腹が出てしまった

Q2)異なる文化、価値観の中に
 入ったことはありますか?
 そこで何を感じましたか?
(日本国内の転校・転居や、違うタイプの
友人ができる、なども含みます)

 

【帰国後の適応困難】

2年の渡米中、大半の時間を英語の中で
過ごすうち、それが「母国語」と化して
しまいました。

親は気をつけて、家庭内では日本語を
使うように私に促し、おかげでヒアリングは
問題なく続けられていましたが、

とっさの返事が日本語ではなきなくなり、
そこを母にとがめられると
ますますいやになり黙りこむ。

というのを続けているうち、
本当に日本語を話せなくなってしまったのです。

こんな状態でしたから地元の公立校に入れたら
とてもついていけないだろうということで、
私立の小さな小学校に入学しました。

そこは少人数制で、放課後に先生が
日本語の補講をしてくれたものです。

こうしてそれなりに適応した小学5年の時、
1年間、再度親が留学するということで、
再びついていきました。

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今回は1年間だったことや年齢柄もあり、
日本語を忘れることはなかったものの、

もともとあまり得意でなかった算数が
さらに遅れ(アメリカの算数のレベルは
かなりのんびりしているので)、

帰国後、こんどは「公文(くもん)式算数塾」
に通うことになりました。

入塾時のテストで、帰国時小6だったにも関わらず
小4レベルからの復習が必要と判明。

母は私が悲観するのではと心配しましたが、

「人は人、自分は自分」
というアメリカ式価値観が
身についていたおかげで大して気にせず、

自分のペースで取り組むことで
徐々に追いついていきました。

 

【公立中学、高校でのしめつけ】

ただ、中学・高校時代は結構しんどかったです。

というのも、公立校に通ったのですが、
そこで校則の多さに驚きました。

入学式の日に渡された生徒手帳を見て、
制服のスカートの丈からソックスの色や模様、
髪の毛の長さにまで細かく書いてあったので仰天。

また広島は当時、公立校は割と
荒れたところもあり、ときに
ピリピリした雰囲気も。

一方で、比較的背が高かっただけで
勧誘されて何となく入った
バスケットボール部では、

たった1学年違うだけで先輩に
異常に丁寧な挨拶を強要される一方で
教師に対しては軽んじる同級生、

さらに日常的に部員にビンタを喰わせる
顧問教師にも違和感を覚え、半年で退部。

ただ卒業資格を得るために
通学していたようなものでした。

友人は何人かできましたが、
他のクラスメイトらとは気が合わず、
多くの時間を一人で過ごしていました。

このころまでの一番の楽しみは下校後に
虫取り網を持って公園に行き、セミや蝶、
トンボを捕まえたりすることと、読書でした。
典型的な一人遊び生活です。

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このため学校行事で数名ずつの班を作るような
場面ではなかなか相手を見つけらず
居心地の悪い思いもしました。

現在でもその傾向は残っています。
ただし、昔と違って

対人関係が苦手でも、自分に合う役割が見つかれば、
それを通じて人とつながれるし、
人の役に立つので信頼される

ことがわかっているから、不安はありません。

Q3)あなたがかつて苦手だったが克服したこと、
あるいは見方を変えて、あまり苦痛なく
共存できるようになったこと

は何でしょうか?
それを他の人に教えてあげることで、
自分の役割を見つけられるかもしれません。

 

【両親の離婚、進路変更】

高校2年の時、両親が離婚しました。
この時にはやはり結構思い悩み、
ちょうど進路を決めなければならない
時期だったこともあり、ストレス症状が出ました。

今回は摂食障害です。
一時は無月経になるほどの拒食症、
その後は過食症も経験。

進路については、動物好きだったことや当時の入試
(「共通一次試験」。現在の「大学センター試験」)
の成績から、一時獣医学部に入ったものの、

卒後希望通り獣医としての仕事に就ける女性は
少ないと聞き、浪人して医学部に入り直しました。

ただし家の経済事情から、私立は最初から問題外です。

国立大1校と防衛庁の大学校に何とか受かったので、
親の強い希望もあり防衛医大に
入校することとなりました。

 

【大学校の医学部へ。そこには特殊な環境が・・・】

他の多くの大学校もそうだと思いますが、
防衛医大も全寮制。

しかし授業料が免除され、3度の食事と
制服が供与され、国費で医師免許を
所得させてもらえます。

その代わり、卒後9年は自衛官として
勤務が義務付けられます。

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また学生時代から

・毎年春・夏・秋には自衛官としての訓練

・授業に行くにも全員そろって軍楽に合わせて行進

・毎日「訓育(自衛官として受ける座学)」がある

・部屋は4人の相部屋でプライバシーなし

・所在を24時間学校側に通知する

・外出時にも原則として制服着用

・・・など、当然ながらかなり
特殊な生活環境でした。

一部のごく親しい人以外との
人間関係作りがもともと苦手なところに、
この特殊な集団生活。

親に相談したくても、現在のように
気楽に使える携帯電話やメールはなく、

宿舎のロビーにある数台の公衆電話の
順番待ちをせねばならない状態。

おまけに自由時間がごく少ないため、
順番待ちをしているうちに消灯時間となり、
電話使用を打ち切られることもあります。

そんな環境に入って1年余り経つうちに、
徐々に自分に異変を感じるようになっていきました。

 

【うつ状態になり休学】

まず現れたのが不眠です。

夜中に目が覚めてしまい、しかし
朝6時までは消灯が定められているため
電気をつけるわけにもいかず、

真っ暗な中、夜風になびく木々を
窓からぼんやり眺めていた日々が
今でも思い出されます。

また落ち込みや意欲の低下、
不安焦燥感、だるさも強まってきて、
勉強にも支障が出てきました。

所属していた水泳部の顧問が精神科の
助教授だったため相談したところ、
うつ状態の診断にて投薬開始。

精神科薬

しかし効果は見られず、
1年間休学することとなりました。


【医師に。しかしアイデンティティの危機から再びうつ状態に】

復学後は無事進学・卒業し、医師に。
しかしその後も課題が待っていました。

当時の防衛医大は、自分が
最終的に何科を専門としたにせよ
基本的な一般診療がこなせるよう、

内科・外科のみならず救急部・麻酔科など、
主要な科を必ず研修するカリキュラムになっていました。

研修医時代
↑研修医時代@防衛医大病院

現在はほとんどの医学部で
このようになっているはずですが、
当時はこのようにオールラウンドな
研修法は少数派でした。

自衛隊医官という性質上、
地方の医務室や船医としてなど、

一人でその部隊の隊員全員の基本診療が
できることを目標とされていたので、
確かに合理的な研修方式です。

ただ、大半の医師は基本的に職人
(専門医)志向であり、

特に卒後数年の最も吸収力の高い時期に
自分の専門分野以外に長く時間を取られることには
結構葛藤があったりします。

研修医1年目では(そればかりやっていたので)
注射や点滴は上達しましたが、

最後の半年から始まった精神科研修だけでは
当然、精神科医としては入門者に過ぎません。

専門はその後数年かけて習得していけば
良いのですが、当然ながら最初のうちは
何もわかりません。

一方で、受験前に覚えた全科の知識は
日がたつにつれて忘れるし、

点滴や採血の技術は(1年目に比べれば
役割を終えて雑務が減る分)、
腕が落ちた気がします。

先輩たちが素晴らしいスピードと正確さで
患者さんの診断と治療、さらには研究も
こなしていくのを見て、焦りが増すばかりでした。

つまり、自分が
「医師免許という名称は持っているが、
中身を伴わない、
何者でもない存在になってしまうのでは」

という不安に圧倒されていました。

今から思えばあまりにも近視眼的な
取りこし苦労でした。

確かに私はあまり要領の良い方ではないのですが、

多少学習に多めに時間がかかったとしても、
経験量に応じて自然に力量が上がっていくものです。

しかし当時はそうしたちょっとした考え方の
コツさえわからず、自分で作った思考の
ストレスで自分を追い込んでしまっていたのでした。


【自分の本当に好きな「テーマ」を見つける道のり】

再びうつ状態となり、半年間休職。

この間ももちろんですが、学生時代からも、
自分なりに充実感や楽しさを感じられるものを
模索し続けていました。

医学部入学の大目標は医師免許取得ですが、
それまで6年間と長丁場ですし、

その後も仕事の疲れを忘れさせてくれるような
趣味が身につけられたら精神衛生上も
良いだろうと思ったのです。

しかしこれが意外と難儀しました。

動物好きだったので、警察犬の
訓練学校に見学に行ってみたり・・・

埼玉のハーブ園の中で開かれていた
アロマオイルマッサージを受けに行ってみたり・・・

英語が好きだったので翻訳家になるのも可能とうたう、
翻訳学校の通信教育を受けたり・・・

子供時代にちょっとだけ絵画が得意だったので、
イラストの通信講座を2か所、
試したこともあります。

でもこれという決め手には出会えず、
どれも中途半端で終わりました。
この辺りには、母の影響が大きかったと思います。

母はいわゆるキャリアウーマンで、更に
離婚後はシングルマザーとして私と弟の面倒もみつつ、
時間を見つけては様々な趣味を続けていました。

一時習い始めたフルートやエレクトーンは
さすがに時間が確保できず中断したものの、
定年退職後はジャズボーカルに熱中。

もちろんコンサートを聴きにいくのも大好きで、

アメリカでは日本の数分の一からの値段で、
田舎でも毎週末クラシックコンサートが
行われていましたから、喜んで参加していました。

運動系としては学生時代からの登山に加え、
社会人になってからのテニス、ジョギング、
更には50歳を超えてからもスキューバダイビング・・・。

このように自分が多趣味で楽しんでいたので、
私にもいろいろと勧めるのですが、

私は
・運動音痴
・音楽の演奏も歌唱も苦手
・音楽鑑賞には興味あるものの、めったに感動できる曲がない

という状況だったので、どれも続きませんでした。

こんな流れだったので
「ああ、自分は趣味も持てない、
面白味のない人間なんだ・・・」

と自己評価してしまい、読書と映画鑑賞で
かろうじて気分転換していました。

しかし実際は、別に無趣味なのではなく、
母と全く別分野に興味があったのだ、
というだけでした。

しかも全く思いがけないところから、
それを知るきっかけが転がりこんできたのです。

再び少し時間をさかのぼりますが、

私は学生時代から心理学には興味があり、
しかし教養過程時代の心理学では
全く面白味を感じらえず、

大学図書館で臨床心理学や精神医学の
教科書を借りて、よくわからないながら
いろいろ読んでみたりしていました。

当時から深層心理にはひかれたらしく、
日本に精神分析学を紹介した先生の一番弟子の本
(一般向け)も書店で買ったりも。

ところであなたは、
「大多数の精神科医は、
心理療法(カウンセリング)ができない」

と知ったら、驚かれるのではないでしょうか?

「カウンセラーや臨床心理士はもちろん、
精神科医も『心の専門家』なのだから、
カウンセリングはお手のもの」

というイメージをお持ちの方がほとんでは思います。

しかし実際には、
現代のほとんどの精神科医は薬物療法主体で、
心理療法を行なえる人はほとんどいません。

医学部の教育課程にも、
そうしたカリキュラムがありません。

そもそも保険診療をベースとする医療機関では、
じっくり各個の患者さんと話し合っていては
患者数をこなすことができません。

毎日数十人以上を診ないと赤字になり、
倒産してしまうというのが
現在の診療報酬のしくみですから、

わざわざ手間をかけて経営に不利なことは
誰も学びたがりません。

そんなわけで心理療法に関心をもつ
精神科医自体も少数派ですが、

その中でも無意識や深層心理という、
より「わかりにくい」分野を扱う精神分析は、
心理療法の中でも更にアウトサイダー的な立場とされます。

さてこのようにニッチな分野にひかれていた私ですが、
更にニッチな――そして生涯の趣味に、
仕事を通して出会うことになります。

それをご説明するためにまず背景から
少し補足する必要があります。

医師には、科によりさまざまな付加的資格があります。

大体はその科で5年以上の診療を重ね、
特定の症例や試験を受けて合格すれば
「○○専門医」「○○認定医」の資格を得られます。

これらは関係する科の団体による認定で、
特に法律で定められたものではなく、
取得の義務はありません。

一方
・母体保護法指定医(産婦人科)
・精神保健指定医(精神科)

といった「指定医」は法的資格で、
これがないと特定の医療行為ができません。

特定の医療行為とは、
・産婦人科での人工妊娠中絶
・精神科で本人の同意を得ない強制入院や身体拘束

などです。

これらはいずれも一歩間違えば
重大な人権侵害になるため、
資格取得についても厳しく吟味されるのです。

さて私もある年、指定医資格を取得するための
症例を受け持たせてもらうため、数か月間、
大規模な精神科病院に出張することになりました。

大学病院では病床数が少なく、
必要な症例の種類と数の確保が難しいからです。

ある病棟に配属になったのですが、
そこの医長がユング心理学に傾倒している人でした。

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ユングは晩年、易を立てて占ったりするなど、
かなりスピリチュアルなことも探究していた精神科医です。

フロイトと並んで深層心理学の大御所です。

医長と仕事の合間にそうした話を交わすうち、
ある日彼が松村潔氏の占星術入門書などを持参し、
ぜひ読んでみるようにと強く勧めました。

プロフィール文の冒頭に述べたように、私は

「論理的に物事を考えるべし」
「直観などはあてにならないもの」

と教えられて育ったので、
最初は怪しんでいましたが、

その本に従って自分や家族、友人などの
ホロスコープを作ってみると、驚くほど当たっています。

「論理的には説明できないのに、なぜか当たっている。
こんな不思議なことは初めて!」

とたちまちハマってしまい、その後
長きにわたって私の最大の趣味となりました。

占星術の中でも
ルネ・ヴァンダールワタナベ氏の「天文心理学」、
鏡リュウジ氏の「心理占星術」

は非常に参考になりました。
ただ、それだけではあと一歩
決め手に欠ける気もしていました。

知りたかったのは

「何のために生まれてきたのか?人生の目的とは?」
「どうすれば毎日安心して、
楽しく感じながら生きられるのか?」

という大きなテーマですが、
従来型の心理学ではもちろん、上記占星術からも、
これというものは得られませんでした。

(心理学も心理的占星術もそれぞれが提唱する
「答え」はありますが、それに自分としては
納得しきれなかった、という意味です。)

考えてみれば、上記の2大疑問は、
昔から各宗教が取り上げてきた大命題ですよね。

ですから、そうそう一発で解決するような
回答なんてありえないでしょう。

しかしいろいろと模索していくうち、
さまざまな占いから始まって、次第にレイキやチャネリング、
瞑想などにも興味が広がっていきました。

その過程で非常に役立ったのが、
こうしたスピリチュアルな分野を学ぶ中で

「自分という『個』を越えた視点」
の存在を知り、初歩的ながら
その視点で見た世界や人生を体感したことです。

「『個』を越えられた時、
初めて『個』の安心感や生きる目的もわかるし、
感覚的に納得できる」

という、一見矛盾しているようで
実は人生の真実であることを、
受容できるようになります。

特に催眠療法は、
自分にも自分のクライアントさんたちにも、
非常に大きな気づきをもたらしやすい療法でした。

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【精神科医としての臨床経験を積み上げる時期。
充実していた中にも、次第に課題が見えてくる】

ようやく精神科医としての経験とスキルに
自分らしさ、自信を持てるようになり、
充実した何年かが過ぎていきました。

外来診療、入院を要する重症患者さんの
診察も行ない、

時には、希望する患者さんに対して心理療法や、
催眠療法も併用していました。

しかしあくまでも主体は保険診療。
保険診療はその特性として

・毎日数十人の診察をする

・たくさんの種類の検査を、できるだけ頻繁に行う

・多くの薬(できれば高価な新薬)を処方する

これらをしっかり実行すればするほど
診療報酬(収入)が増えるしくみです。

逆にいえば

「一人の患者さんを数十分かけてじっくり
話を聞き、最小限の検査と投薬のみ行う」

という医療機関はどんどん赤字が膨らみ、
下手すると倒産する運命にあります。

こういうわけで、いわゆる「メンタルクリニック」に
行ってもなかなか話を聞いてもらえず、

初診でも数分で診察終了し、
検査と処方は多種類、
ということがしばしば見られます。

たとえば不眠を訴える患者さんに、

・背景となっている心のあり方
・生活習慣、食習慣
などを聴取し、

リラクゼーション法などを指導して
あげられれば、あまり睡眠薬など使わなくても
済みそうな場合もあるのに、

時間が取れないために、
対症療法としての睡眠薬を処方し続ける。

しかし(患者さん本人のストレス対処法が
これでは上達しないので)「まだ眠れません」
といわれ、薬が増えていく・・・。

こうした矛盾への葛藤をいつも感じていました。

また、
「心療内科なんだから
しっかり話を聞いてもらえるだろう」

という期待で来院した患者さんの話を
中断しなければならない心苦しさを
度々経験する中で、

「保険診療ベースの活動では、
本当に一人ひとりと心を通わせる交流、
治療的関わりを持つのは難しい」

という気持ちが年を追うごとに強まっていきました。

 

【「お礼奉公」を終え、セラピールーム開業】

そうこうするうちに卒後9年の勤務義務年限も
とうに終わり、その意味では自分の進路を
自由に選べる時期に入っていました。

そこで東京都内にセラピールームを開業。
2005年夏のことです。

以下は、開業当時、日本メンタルサービス研究所に
インタビューを受けたときの内容です。
インタビュー集第2回 浜野ゆり ストレス緩和ルーム

ストカンにて

そこでは心理療法・催眠療法のほか、
アロマを併用したレイキ(ハンドヒーリング)、
フラワーエッセンスも使用していました。

また当初は占い鑑定も実施していました。

【栄養療法との出会い】

ちょうどそのころ、もう半世紀近く前に
カナダの精神科医が開発した、

精神症状を治す分子整合(オーソモレキュラー)医学
に基づく栄養療法のことを知りました。

新宿にその専門クリニック
「新宿溝口クリニック」があったので連絡を取り、

早速自分自身も一患者として検査を受け、
食事改善とサプリ服用開始しました。

この方法により、いかに脳が栄養に左右されるか
を身をもって実感できたので、

早速医師向けのコースに参加し研修開始。

その後、当クリニックでの外来も
受け持たせていただけることとなりました。

当初、クリニックでの診療は
あくまでも非常勤の予定でした。

しかし院長が代替療法に理解のある先生で、
心理療法はもちろん、催眠療法も
行なって良いと言ってくださったので、

活動の場を一本化した方が何かと良さそうだと思い、
セラピールームは終了したのです。

 

【形を変えて、再び独自の活動を・・・】

2006年から始めた栄養療法の習得および
それに基づく診療の経験も重ね、
自分なりのスタンスも固まってきました。

写真は、当時一般の方向けに
栄養療法について説明し、身の回りの食材や
コンビニ・外食でもいかに栄養を上手く摂るか
を解説した本です。

患者さんからの質問が多かった内容を
中心とし、おかずやスイーツのレシピも載せています。
(なお著者名は、クリニック診察時の
「佐藤安紀子」となっています)

ただ・・・
保健医療機関に勤務する限り、
「一定数以上の患者を次々と診なければならない」
というノルマはやはりあります。

このため2012年からは自分の診療担当日を減らし、
患者/クライアントさんの相談を
じっくり受けるための仕組みを模索してきました。

その第一歩として、
本ブログを開設したのです。

そして2014年3月をもって
新宿溝口クリニックを退職しました。

今後は徐々にセミナーを増やしたり、
メルマガやスカイプ(インターネット電話)を
使っての相談などの活動を増やしていきたいと思います。

もちろん、「身体(からだ)・精神(こころ)・魂」
の3つとも総合的に健康になるための

役立つ情報、考え方のコツなども
日々のブログ記事でも発信していきますので、
どうぞよろしくお願い致します。

 

【こころの健康助言者が足りない!】

自分の半生を振り返ってつくづく思うのは、
「まだまだ、心の助言者が足りないなあ」
ということです。

たとえば身体の健康番組はたくさんあります。

「ためしてガッテン」
「たけしのみんなの家庭の医学」

などは長寿番組ですし、
最新の知見や治療法なども紹介されます。

それに比べ、精神面の健康については、
上記の番組の中などでたまに取り上げられる程度。

もちろん、ここ10-20年で精神科医や心理カウンセラーが
一般向けに精神状態を改善する方法を
助言した本も格段に増えています。

私自身もよくそうした書物を買って参考にしています。

ただ、国民の「常識」になるほどに
普及するには、まだまだ力不足に感じます。

例えば不眠や不安がある際に、

・誰でも自分でできる、不眠解消のための行動療法とは?

とか

・不安をどう取り扱えば良いか

といった、基本的なこと、それを知っているだけで
かなり日々の生活の質が上がるような、ちょっとしたコツ
を知らない人がまだまだ大半なのです。

あるいは、こんな比較もわかりやすいかもしれません。

特に都市部では、
ランニングしている人が増えています。

特に東京では、大きな公園回りなどは
ランナー人口が多くて、
気をつけないとぶつかりかねないほど。

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で、そうした光景を見て
「スポーツ選手でもないのに、
何で走り回っているんだ?無駄な労力だ」

などとは、思わないですよね。

メタボ対策が叫ばれる現在、
定期的な運動は推奨されるし、
国民が運動の意義をわかっているので、

「自分もがんばらないと・・・」
と感じるのが普通でしょう。

しかし、例えば公園で一人で、
あるいは数人で輪になって、
座禅を組んだりしていたらどうでしょうか?

「物好きだねえ~」
「人前で恥ずかしくないのかしら」
「何かの宗教活動?」

などと思われかねません。

これが、夏休みの朝のラジオ体操や、
中国で皆が普通に参加するという
毎朝の太極拳活動の集まりなどと比較すると、

いかに
「メンタルヘルスを自己管理する」
ことに関して、

まだまだ皆の意識がバラバラで、
一定レベル以上の知識や技術を持たない
人の割合が大きいかがわかります。

(といっても専門的なものではなく、
ごくごく初歩的な「生活の知恵」レベル
なのですが。)

たまたま

・自分の気質が楽天的だったり
・親が非常に受容的だったり
・親が心の健康を保つコツを折に触れて助言してくれたり

といった環境に恵まれれば、
大きなトラブルなく生きてきやすいでしょうが、

そうした恩恵を受ける環境になかった場合、
いつどこでそういうコツを学べるかは、
全く偶然に頼るしかありません。

しかしある程度、
ごく初歩的なものだけでも学ぶ機会が
皆に与えられていれば、

それを知らなかったことによる余計なストレス、
余計な負担を経験せずに、その分の時間と労力を
もっと別な方面に振り向けられるのです。

私の活動で目指しているのは、
こうした精神の健康の助言者(先輩)
を世の中に多く誕生させ、

「先輩」から「後輩」にどんどんそのコツを
手渡し続けていくこと、

そしてこれによって、誰でも手を伸ばせば

「身体(からだ)・精神(こころ)・魂の統合的健康」
を手に入れる初歩的方法は身につけられる
という社会にすることです。

Q4)あなたがメンタル面で悩んだこと、
そこから脱出するのに役立ったことは何でしょうか?
  それを、かつてのあなたのような人に
教えてあげることはできませんか?

 

【一緒にホリスティック・メンタルヘルスの
「先輩」になりませんか?】

生きていれば、誰でも試練が降りかかります。
ストレスに見舞われます。

もちろん重度のもの、特定の知識が必要な
分野もあり、そうしたケースはやはり、
専門家に任せる必要があります。

しかし人生で起こるストレスの
9割を占めるのは、日々の数えきれないほどの
こまごまとした心配事、不安、
対人関係ストレスなどです。

そしてこれらの大部分は、
基本的ないくつかの「コツ」さえ
知っておけば乗り切れるものであり、

しかも一度知ってしまえば、一生使えるメソッドです。

自分にはもちろんのこと、
周りの大切な人たちにも
教えてあげることができます。

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もしこうしたコツを普通に使える人が
国民のコンマ数パーセント増えたとしたら、

それだけでも、世の中の雰囲気が少しずつ和らぎ、
社会が良い方向に向かうのではないかーー。

私はそう信じています。

あなたがもし、
この考えに共感してくださるなら、
ぜひご一緒に活動していきましょう。

そのために、このブログを立ち上げました。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

ホリスティック精神科医
浜野ゆり
(※医療機関での診療時には「佐藤安紀子」名で担当)

これまでの仕事・活動内容のまとめ

 


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